移住者の声

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山本 義秋さん、桃代さん(大井町)

移住者プロフィール

山本 義秋さん、桃代さん(大井町)

ご夫婦共にブラジル・サンパウロ州出身。現在、恵那市大井町に在住。日系二世。ブラジルで知り合い、結婚。その後、両親の故郷である日本へ家族で移住。仕事の関係で岐阜県中津川市に長年、賃貸住宅で暮らしていたが、2016年、恵那市空き家バンクに登録されていた中古の一軒家を購入して、恵那市大井町に移住。現在は家族4人でさまざまな国際交流活動にボランティアとして参加しながら、恵那での新しい生活を満喫中。

(Q)恵那に移住したきっかけは何ですか?

(A)私の父は元々、京都に住んでいて、戦前、ブラジルに農業移民しました。現地で同じく移民である母と知り合い結婚。私はサンパウロ市から北へ60キロほど離れたサンパウロ州のジュンディアイ市(Jundiai)という所で生まれ育ちました。当時はブラジルで農業促進のために日本人を募集していて、土地も貰えるという事で、たくさんの日本人がブラジルに移住しました。私は男3人と女6人の9人兄弟の真ん中の5番目で、三男坊。ジュンディアイは田舎町で、実家にはコーヒー農園があって、子どもたちは幼い頃から畑の手伝いをしていました。みんな親の苦労を見ていたので、将来、農業はやりたくなかったんです(笑)。日本でも同じでしょうが、兄弟たちは成長すると進学や就職のために実家を離れて町に出て行ってしまいました。その後、私も、兄弟がサンパウロ州のジャラグァー市(Jaragua)という所でスーパーのような小さなお店を経営していたので手伝いをするために家を出ました。ちょうど22歳のころ、ジャラグァーに旅行に来ていた妻と知り合って、妻の住んでいるサンパウロ州のグアルーリョス(Guarulhos)に移住することになりました。私も彼女もそこで働きながら夜間大学に通って、卒業後に結婚。その間も会社で事務仕事などをしていたのですが、子どもも2人生まれて、より稼げる仕事を探していました。英語を勉強していたので、アメリカに行きたいという夢を持っていましたが、当時はブラジルから日本への出稼ぎがはやっていて、やっぱり自分のルーツは日本だし、家族を優先して、安全面などを考えて、日本へ行くことを決心しました。ブラジルで仲介エージェントに依頼して、岐阜県中津川市にある機械加工を行う会社を紹介されまして、1991年頃、最初は私1人で日本へやってきました。日本へは一度も行ったこともないし、最初は何もかも不安でしたね。2、3カ月後に家族を日本に呼び寄せて、会社の寮に入ることになりました。その後、娘も生まれて、中津川の落合近くのアパートで11年、娘が大きくなってきたので中津川市茄子川の3LDKのアパートに移動して12年ほど住んでいました。その間もずっと同じ会社で働いて、最初はブラジルに戻ることも考えていたのですが、会社の社長から“もう20年以上も働いていることだし、ずっと日本で生活したらどうか”と言われまして、定住するなら、“やっぱり家を買いたい!”という思いがありました。ちょうどそんなタイミングで、その時住んでいたアパートが老朽化したという事で、持ち主の方がアパート経営から撤退することになって家を探すことになりました。会社も中津川から恵那の方に移っていたので、場所は恵那に近い方がいいということで、2015年、10月の初めごろに恵那市が運営する空き家バンクの話を聞くために恵那市役所を訪ねました。そこで恵那市大井町にある売却物件を紹介してもらい、早速、物件の案内をしてもらいました。中古物件ですが、家もしっかりしてて4人で暮らすには十分な大きさ。庭や駐車場もあって、立地も見晴らしも良い丘陵にあって、日当たりがいい! そして大井町はJR恵那駅や町中にも近い。すぐに気に入って契約交渉に入りました。でも実際、銀行のローンを組むのに時間がかかって、契約が決定したのは半年後。2016年3月には恵那市大井町に引っ越して来ました。

(Q)恵那に住んでみてどうですか?

(A)私はいつも仕事なので、あまり町には出歩きませんが・・・・娘が遠方の高校に通っているので、妻がいつもJR恵那駅まで車で送り迎えしています。あまり時間がかからないので、すごく便利ですね。家は日当たりが良いときは暖かいのですが、やはり冬! 寒いときは結構冷える(笑)。家の中はストーブをたかないと冷たいですね(笑)。恵那に来て思ったのが、今まで住んでいたところと違って、人付き合いが楽になりましたね。大井町のこの辺りの自治会にも入りましたが、いつも皆さんが笑顔であいさつしてくれるし、近所の人が優しいんです。恵那は市役所も郵便局も銀行もみんな人が優しい。何でも教えてくれるし、落ち着いた気持ちで生活することができています。

恵那市大井町の市街地から約10分で行ける景勝地、恵那峡。日本観光百選にも選ばれている。

 

(Q)恵那でこれからどんな生活を送りたいですか?

(A)私はローンを返さなければならないし(笑)、現在も会社勤めをしていますが、定年後も働けるようにしないといけないですね(笑)。今は仕事が忙しくてなかなか行けてないのですが、時間ができたら恵那の町をもっと見学したいですね。また、私たちは恵那市に住む外国人の方々の相互サポートする恵那市国際交流協会のサポーターとしてさまざまな活動に参加させてもらっています。恵那市、中津川市にはブラジルからの移住者も多く、子どもを持つブラジル人の保護者と学校の先生をつなぐためのポルトガル語の通訳もやっています。また恵那市役所内にある案内用の看板のポルトガル語翻訳も担当させていただきました。妻は今、中津川でブラジル料理屋(K&M Hotisserie)を経営しているので、毎年、開催されている東野音楽祭でブラジルのお菓子を提供したり、子どもたちも恵那市民が気軽に海外の方と触れ合うことのできる相互交流会(ワールドカフェ)にブラジル音楽を演奏するバンドとして参加したりしています。これからも国際交流のためのお手伝いをして、もっとブラジルの文化も皆さんに知ってもらえると良いですね。

長男の薫さん(ギター)、長女の春花さん(ドラム)が所属するブラジル音楽を演奏するバンド。数々のイベントにバンドとして出演している。

 

(Q)最後に恵那に興味のある方々に一言

(A) 恵那は、とっても良い所で、地元の人々はとっても温かく、優しく受け入れてくれるので、ぜひ来てほしいですね。でも寒いよ(笑)。寒いけど、人とのつながりがあって温かいですよ!!

以下、現在、山本 義秋さん&桃代さんが恵那市で行われている活動を紹介します。

・K&M Hotisserie(ブラジル料理)

〒509-9131 岐阜県中津川市千旦林162-92(1階)

営業日:毎週、水、木、金、土曜日

営業時間:午前10時から午後5時くらいまで

電話:090-5006-6788

 

本場、手作りのブラジル料理や軽食、お菓子などを提供しています。

パーティー用の料理なども承ります。

サウガジーニョ(salgadinho)=鶏肉、ジャガイモ、小麦粉などで作ったブラジルの家庭料理(揚げ物)。おやつ代わりに食べる軽食。

・アセンブリ オブ ゴッド(中津川福音教会)

〒509-9131 岐阜県中津川市千旦林162-92(2階)

毎週、金曜日(午前8時30分から午後10時まで)、土曜日(午前8時から午後10時まで)

牧師:山本 義秋

電話:090-5006-6788

 

・恵那市国際交流協会

ENA INTERNATIONAL EXCHANGE ASSOCIATION (EIEA)

〒509-7292 岐阜県恵那市長島町正家一丁目一番地

電話、ファクス:0573-26-1868(直通)

電話:0573-26-2111(内線532)

電子メール:info@eiea.org

ウェブサイト:http://eiea.org

 

恵那市国際交流協会(EIEA)は、恵那市における歴史・文化・スポーツ・産業などの特性を生かした民間レベルの国際交流活動を行い、人的交流や文化・情報の交換などを積極的に推進することによって恵那市のまちづくりに貢献。また恵那市と協働しながら多文化共生活動を積極的に支援し、さらには他団体の交流活動を活発化させる中核組織として環境づくりを進めている。


大井町ってどこぉ~~~?

中山道大井宿に由来する恵那市の中心市街地

恵那の玄関口JR恵那駅を擁し、明知鉄道の発着駅も隣接しています。大井宿は「中山道六十九次」の江戸から数えて46番目の宿場町で、格調高い本陣正門や、格子戸のある庄屋宅、旧家や旅篭屋などが今でも面影をしのばせています。町並みには敵の侵入を防ぐために直角になった「升形」がみられます。6カ所も現存しているのは日本でもここ大井宿だけです。

 

【大井宿本陣跡】

建物のほとんどは戦後の火災で失われてしまいましたが、残された門と松が「美濃16宿中随一」ときこえた大井宿の繁栄ぶりを伝えています。

移住(人)図鑑

“移住実践者の声”を、更に広く恵那市内に在住の方々、恵那市に移住・定住を希望する方々に、容易にご覧頂けるように、“恵那移住物語/MEET THE NEW ME”として再編集し、冊子化いたしました。

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