移住者の声

空き家バンク
利用登録はこちら

郝林林さん、 百艶娜さん(明智町)

移住者プロフィール

郝林林さん、 百艶娜さん(明智町)

郝(カク)さんは1981年生まれ。中華人民共和国・瀋陽市出身。20歳で福岡の日本語学校へ留学。奥様の百(ヒャク)さんは1982年生まれ。中華人民共和国・洛陽市出身。高校卒業後に同じく福岡の日本語学校へ入学。そこで知り合い、結婚。その後、奥様の仕事の関係で名古屋へ移住。郝(カク)さんも自分で事業を始められて、多治見や瑞浪でお店を経営。2015年4月、恵那市明智町に移住とともに明智町では初の中華料理屋&喫茶 天天をOPEN。現在はご夫婦で明智町の皆さんが集う町のホットスポットとしてお店を切り盛りしている。

恵那に移住したきっかけは何ですか?

(A)私は中華人民共和国、東北地方の最大都市である瀋陽市で生まれ育ちました。瀋陽は石炭、鉄鉱石、油田などの産地で工業が盛んです。20歳まで瀋陽の大学に通っていたのですが、“このままでは未来がない!”と思って、”日本に行ってみよう!”と考えて、2002年ごろ、福岡の日本語学校へ留学しました。もちろん、それまでは日本語は全く話せませんでした(笑)。そこから日本語を勉強して、九州産業大学に進学して、経営学部で国際経営などを学びました。もちろん、お金も稼がなければならないので、学生をやりながら、日本で数々のアルバイトを経験しました。妻は洛陽市出身で、高校卒業後、18歳の時に同じく福岡の日本語学校に留学。そこで知り合い、2006年に福岡で結婚しました。妻は、その後、久留米大学で社会福祉を勉強した後、名古屋にある人材派遣の会社に就職が決まって、二人で名古屋に移住することになりました。仕事は中国へ人材を派遣するための総務(採用、人事、通訳など)を担当して順風満帆でしたが、ちょうど2008年ごろ、世界的金融危機や不況が影響して事業部が廃止になってしまい、仕事を変えることになったんです。私もさまざまなアルバイトやフローリング専門の会社で友人の仕事を手伝ったり、数々の仕事をこなしたりしてきましたが、その時に独立を決意しました。いろいろ思案して、“飲食店が良いのではないか”と考えるようになりました。私は元々料理好きで、中国の実家でも、お正月は特に男性が自慢の料理を作って、家族に披露していました。そして2010年ごろ、多治見市でマカオエッグタルトやタピオカミルクティーなどを提供するスイーツ専門のお店をオープンしました。人生初めてのお店です。そこで5年ほど頑張ったのですが、やはり経験不足が露呈して、利益を出すのに本当に苦労しました。店の周りにも、大手競合店が出来始めて、必死に頑張ったけど、経営的にきつくなってきた時に友人に相談しました。そこで“そういえば中国人は中華料理屋をやっているなぁ!”と気が付きました。自分も元々、中華料理は好きだし、“これだったら、もう一度チャレンジしようと!”と立ち上がりました!そこで瑞浪市で友人のサポートを得て、中華料理屋を経営することになりました。中華料理屋経営は初めてだし、自分自身の修行の意味で1年間そこで頑張りました。1年やってみて、自分の中でも自信ができてきました。瑞浪の店は経営的にもうまくいっていたのですが、やや手狭で“もう少し大きな店を持ちたい!”という夢もありましたので、物件を探し始めました。

たまたま不動産会社の物件情報をwebで見ていると、恵那市の明智町という所に、かつてスーパーマーケットと酒屋として使っていた賃貸物件が出ているのを見つけました。恵那市は瑞浪市からも近いし、休みの日を利用して明智町の物件を実際に見て、一瞬で気に入りました。でも商売をする上で、町の情報も調査しなければなりません。それから休日のたびに明智町に10回以上は足を運んでみました。実際に感じたことは・・明智町は寒くて暗くなるのが早い。町の中にある店は閉店が早い。正直、最初は不安になりましたね(笑)。ある時、たまたま車でグルグル回っていたら、明智町に交番があったので、思い切って中に入って、おまわりさんに明智町についていろいろ聞いてみることにしました。そこで明智町にはファミレスのような大きな店は一軒もないし、競合になるような中華料理店もないことを教えてもらいました。私からも“中華料理屋についての可能性”を聞いたら、居酒屋や酒場、いろいろな店があるけど、経営不振で潰れた店はあまり聞いたことがないという回答を得ました。“冬場はやはり経営的に厳しいのではないか?”という質問もしましたが、明智町は普通に小中高校、福祉施設、工業団地もあるので、“冬場の忘年会シーズンが狙える!”というのが、確信になりましたね!でも、やっぱり、明智町に何度も来てみて、物件もそうだけど、町が気に入りましたね。これに尽きる。そして、2015年2月ごろに物件の契約をして、そこから中華料理屋への改装をしました。住む家は店に専念したかったので、できるだけ通勤はしたくない! 運良く、店の目の前の一軒家も同じ大家さんで賃貸で借りられる事になって、晴れて恵那市へ移住してきました。そして、2015年4月11日に明智町では初の中華料理屋&喫茶 天天をオープンしました。

恵那に住んでみてどうですか?

(A)明智町は私たちにとって良い所ばかりです(笑)。気に入りすぎ(笑)。元々、中国で住んでいた所は人は多いし大都会。でも、ここは人は少ないし、夏場は蛍を見ることができます。景色もいいし、夜空を見上げると、流れ星や星座とか星がいっぱい見える。本当に面白い。中国は大気汚染とか、光汚染でなかなか星は見えなかった。あと観光施設の日本大正村(注)もあります。

そして、ここでお店を出してみて、商売をやる身として感じたのは、多治見や瑞浪でも店を出しましたが、ここは経営がしやすい! 確かに多治見や瑞浪は人口もここより多いし、旧中山道の国道沿いの町なので流通関係のお客さんが多い。一方、こちらは、そういう利点がないので、完全、町の住民頼りの店。オープンしてしばらくして、町の皆さんから“こんな店を待っていた!”とか、“この店があって良かった!”という声を頂きました。この町の皆さんが、私たちの店を応援してくれていることを感じたんです。今まで経験したことがない感覚でした。本当にうれしいし、皆さんにとても感謝しています。お昼のランチ時には子連れの奥様方や家族連れもいっぱい来るし、リピーターもかなり増えました。本当に明智町にこの店を開いて正解だったと思ってます! 皆さんのおかげですし、応援していただいている分、サービスで恩返ししたいと思っています。

(注)日本大正村は恵那市明智町にある町おこしとして構想されたテーマパーク。街全体に大正時代の雰囲気を保存、再現した店舗、資料館、博物館などがある。

恵那でこれからどんな生活を送りたいですか?

(A)もうちょっと店の売り上げを伸ばしたいですね。明智町の皆さんへの恩返しという意味でもサービスを向上して、売り上げを伸ばしたい! 今は子どももまだ小さくて手が掛かるのでできてないけど・・・・もっともっと明智町の町おこしにも協力したいですね。明智町に来て以来、ここでは友達感覚でみんなと携帯番号を交換しています。いつの間にか、この町で知り合いが本当に多くなってきました。お昼のランチに来るお客さんは、ほとんど地元の人で顔見知り(笑)。ほとんど名前が分かっている人です(笑)。みんな応援してくれています。

実際、私は移住して自治会にも入ったし、商工会にも入っています。町のイベントにもできるだけ参加して、お店として協賛もしています。町の活動や祭りの時には中華料理の差し入れも出しています。あとソフトボールやバレーボール大会にも参加してますよ。これは健康のためですが(笑)。これからもっともっと町の一員としてなじんで生活していきたいですね。また個人的には来年、日本への帰化申請をしようと思っています。本当に日本に長く住んでいきたいと思っています。お店に関しても、私たちは情熱で接客しています! そして言葉を意識しています。中国人が経営している中華料理屋はオーナーがいて、雇われの方が多くて、元々、日本語を話せない方も多い。でも私も妻も日本語を話せるので、これは私たちの武器。常に中国人と日本人の壁を乗り越える動きを意識してやっていければと思ってます。そうそう、今度、お店のトイレを改装します(笑)! 今は和式トイレなんですが、これだとお年寄りにはキツい。洋式トイレにしますよ(笑)!

最後に恵那に興味のある方々に一言

(A)最初、恵那に来ることは名古屋の友達が反対したんです。田舎に対して偏見があったようで田舎はなんにもないと。でも実際、明智町に住んでみると、大型スーパーもあるし、買い物は日常の物は何とかなる。普通、都会に住んでいると、休みの時にキャンプとか、わざわざ山に行くけど、今は明智町に住んでいるので、目の前が山ですからそんな必要もない(笑)! 今の私たちは逆に休日に“買い物をしに都会に行こう!”でいいんです。私たちは反対の考え方でいいかなと思ってます(笑)。明智町は町もきれいだし、四季もあるし、子育てしやすい。人も親切。周りの方々がよく子どもの面倒を見てくれる。都会にいた時はなかなか貯金もできなかったし、実は明智町に来てから子どもを作ろうと考えたんです。商売も軌道に乗ってきて、以前は休みも無く働いていたけど、今ではお店の定休日も作る事ができました。以前はそんな余裕もなかった。私はこの明智町で町と共存して生きていこうと思ってます。

最後に・・・都会の生活に飽きたり、都会にうんざりした方、田舎暮らしでのんびりしたい方、自然を満喫したい方だったら、絶対、明智は後悔はしないと思います。そして、もしここでビジネスをやりたいと思う方がいるなら、個人的には明智にないビジネスを持ってきてくれるとうれしいですね。自分たちの中華料理屋のように競合が少ないお店をオープンするのも良いかもしれません。明智は若者にうける店が少ないので、若者向けの洋服屋とか、子どものおもちゃ屋、ファッショナブルな美容室、手軽に買い物できる100円ショップとか若い人にアプローチできるお店もいいんじゃないかと思います。

私はいつも思っているのですが、町にはお店が絶対に必要です。お店がなくなると活気も無くなるし、人も寄りつかなくなって最終的に人口も少なくなります。だからお店が必要なんです。町にいろいろなお店があると本当に町が元気になります。お店が元気な町の象徴になって欲しいですね。

以下、現在、郝林林(カクリンリン/HAO LIN LIN)さんと百艶娜(ヒャクエンナ/BAI YAN NA)さんが恵那市で行っている活動を紹介します。

・中華料理&喫茶 天天
〒509-7731 岐阜県恵那市明智町1146-3
電話 0573-32-1462

恵那市明智町にある本格ファミリー中華料理屋です。このたび、縁あって日本大正村に出店させていただく事となりました。日本大正村を盛り上げるべく、ご利用いただけるよう頑張っていく所存でございます。ぜひ皆様のご支援、ご愛用をお願い申し上げます。

【営業時間】
ランチタイム 午前11時から午後2時30分
ディナータイム 午後5時から11時
喫茶タイム 午前10時から午後9時

【定休日】
火曜日
(注意)年末年始など臨時休業する場合がありますのでご了承ください。

【お席】
80名様

【アクセス方法】
・電車の場合
JR中央線「恵那駅」乗り換え明知鉄道「明智駅」下車徒歩10分
・車の場合
中央自動車道「瑞浪インター」から国道19号、363号線を経由し30分。
「恵那インター」から国道19号、257号線、363号線を経由し30分。

【WEBサイト】
http://tenten-chuka.jimdo.com/


明智町ってどこぉ~~~?

明智町│歴史と伝説が感じられる大正ロマンのまち

明智町は恵那市の南部に位置します。標高は210メートルから823メートルと丘陵状の山を伴ってゆるく低くなっています。町は大正村と呼ばれ、大正時代の面影を残し、3代目村長に竹下景子さんを迎え町おこしに力をいれています。

【大正村役場】

古き時代の町並みをそっくり保存した日本大正村は重厚な造りの村役場や、土蔵造りの資料館、町のいたるところで大正文化と出会うことができます。景色や町を包む雰囲気を感じながら散策をしてみませんか。

移住(人)図鑑

“移住実践者の声”を、更に広く恵那市内に在住の方々、恵那市に移住・定住を希望する方々に、容易にご覧頂けるように、“恵那移住物語/MEET THE NEW ME”として再編集し、冊子化いたしました。

PDFダウンロード